入不二基義さんの公開原稿『無についての問い方・語り方』について 1.

以下の小論は、2011年9月17日に龍谷大学で開催された第六回ハイデガー・フォーラムで僕が配布したレジュメを再録したものである。


入不二基義さんの公開原稿『無についての問い方・語り方』については、以下のURLへ。
http://heideggerforum.main.jp/ej6data/irifuji.pdf


先ず、構成される「全体」・充実態としての「欠如」・仮想される「空白」という発想に通底する【胡乱さ】を指摘しておきたい。 
入不二によれば、言語の基本機能には二種類の差異化―『肯定による差異化』と『否定による差異化』―があり、両者は相補的である。以下、引用すると―


肯定による差異化は、「充実」の全体を指向しつつも「全体」へは行き着かない。たとえば、色の名前をいくら列挙しても、色の全体は覆い尽くせない。一方、否定による差異化は「欠如」を発生させることによってこそ、(その行き着かない)「全体」を立ち上げる。たとえば、「黒である」領域に「黒ではない」という欠如領域を加えることによって、色領域の「全体」が構成される。しかも、この二種類の差異化は互いに補完し合っている(相補的である)。一方では、肯定による差異化が指向しつつも行き着くことができない「全体」を、否定による差異化が先取り的に提供する。他方では、その「全体」を構成するための「欠如」は、肯定による差異化(命名)が埋める(潜在的には埋まっていることになる)。つまり、二種類の差異化は、欠如と全体と充実をめぐって相補的に働いている。−略−この相補的関係における「欠如」としての無は、全体を構成するために働くのであって、けっしてそれ自体が「全体」になることはない。しかもほんとうは、その「欠如」としての無も、原理的には(潜在的には)肯定形によって埋めることができる「充実態」なのである。
入不二基義『無についての問い方・語り方』)


肯定による差異化は、「充実」の全体を指向しつつも「全体」へは行き着かない―と入不二は主張する。しかし、仮にそのようなもの(全体)が存在する?として―それは入不二が主張するような「(潜在的には肯定形によって埋めることができる)充実態」或は「画定された境界線を持つドメイン(限界を持つ全体)」などという代物なのであろうか。以下の事例を検討して頂きたい。
①「黒である」領域に「黒ではない」という欠如領域を加えることによって、色領域の「全体」が構成される―と入不二は主張するが、氏の言に反して、この相補的関係において【色領域が一義的に指定されなければならない特段の理由は存在しない】ように思われる。ここで「黒ではない」何かが色でなければならないと考えるのは馬鹿げているだろう。
例えば「カンガルーである」領域に「カンガルーではない」という欠如領域を加えて有袋類領域の「全体」或は陸生動物領域の「全体」或は太陽系の全存在領域の「全体」・・・区切り方に応じて無数の「全体」が構成され得る―と考えることが出来るのではないか。
入不二の挙げた例に話を戻せば、この相補的関係において【色領域】の「全体」が構成されると考えられたのは【黒が色にカテゴライズされることを我々が理解しているから】に過ぎないと思われる。事柄に即して考える限り、そもそも『〜でない』によって構成される「全体」など存在しない―問題になり得ないという意味で―と言うべきではないか(入不二の主張に反して)。

②例えば、カンガルーは「有袋類に分類される」が、有袋類にはカンガルー「ではなくて(の他にも)」コアラやフクロネコ等がいるし、カンガルーは「陸生動物に属している」が、陸生動物にはカンガルー「ではなくて(の他にも)」秋田犬や松井秀喜等がいる。
ここで注目して頂きたいのは、否定の文法『〜ではない』と「ではなくて(の他にも)」の文法的差異である。説明の必要はないと思うが、入不二の表現に従えば、前者は『否定による差異化』、後者が『肯定による差異化』となる。語形は似ている―『ではない』と「ではなくて(の他にも)」を比較して頂きたい―が、両者の文法は全く異なる。
従って、①と同様、②においても、『〜でない』によって構成される「全体」などという代物は問題になり得ない。入不二の表現を借りて言えば、仮に我々が『肯定による差異化』を通して具体的かつ或る特定の内容を有する思考を形成する(概念構成)のだとしても、そこに『否定による差異化』が立ち上げる「(潜在的には肯定形によって埋めることができる)充実態」「画定された境界線を持つドメイン(限界を持つ全体)」などという代物を仮構しなければならない理由は存在しないのである(入不二の主張に反して)。
付言すれば、ドメインとは具体的な概念内容それ自体なのであるから、入不二の言う『〜でない』によって構成される「全体」・充実態としての「欠如」がそれ(ドメイン)を構成することは出来ない。『〜でない』によって構成される「全体」などという代物が問題になり得なかったように、具体的な概念内容によって【埋めることができる】欠如などという代物を仮構する必要もないのであるから。
猶、仮想される―精確に言えば、排中律に依拠して仮構された―「空白」も同じ遣り方で解消出来るので、割愛させて頂く。


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