入不二基義『事実性と様相の潰れと賭け』のダメット解釈を解消する(2018/9/19のツイートまとめ)

「何れにせよ、入不二氏の形而上学的或は否定神学的思弁の展開については、私の旧稿で先見され且つ解消済だと私は考えている」 https://twitter.com/nineteen_jacob/status/1042257049717956611 https://twitter.com/nineteen_jacob/status/1042263343480750…

カント以後の存在神学と思弁的実在論(2018/9/19東京神学研究会発表分)

O.序に 私の見るところ、哲学的困惑の多くは、共約不可能とされる領域を設定乃至前提した上でそれらを結び付けようとする倒錯した知的努力―これは媒介の問題と呼ばれています―に類するもののようです。共約不可能―耳慣れない言葉かもしれませんが、取り敢え…

ル=グウィンから村上春樹へ(2018/8/5のツイートまとめ)

ル=グウィン「真の神秘は理性に破壊される事がありません。<偽物>は違います。じっと見据えればこうしたものは消えてしまいます。本当によく見れば途端にその姿は一匹の<荒地鼠>に変わってしまうのです」 https://twitter.com/nineteen_jacob/status/102…

村上春樹『騎士団長殺し』解読(2017/4/20にkimukuma氏へ送ったメモのまとめと追記)

Q:イデアとは何か? A:前回の記事 http://d.hatena.ne.jp/jacob1976/20170411/1491927985 から大体のところは掴めるんじゃないかね。付け加えるなら、他者の認識を糧として存在し(cf.第2部119頁)、個体性を持つ(cf.第2部487頁「あたしはもうここに来る…

騎士団長と貧乏な叔母さんと村上春樹(2017/2/25にkimukuma氏へ送ったメモのまとめと追記)

「あなたを殺したとして、それはぼくにとってのあなたが死ぬということなのですか? あなたはぼくの前から永久に消滅してしまうということなのですか?」 「そのとおり。諸君にとってのあたしというイデアはそこで息を引き取る。それはイデアにとっては無数…

横山信幸氏のブログ『独今論者のカップ麺』における事実誤認と虚偽

http://sets.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/post-0eeb.html?cid=139196310#comment-139196310 お久し振りです、工藤です。いま甲府の東横インのノートパソコンから投稿しております。 >うたがっているのは、タカマハラナヤサ、竹村加菜、睫摘、理、工藤庄…

青山拓央『分岐する時間―自由意志の哲学』への質問及び補足

①先ず、自由意志論者の言う<起点性>について質問したいと思います。 今更言うまでもありませんが、抑も我々思考し行為する存在者は[諸事物のネットワーク=世界]の一部であり、それ故に我々の意志決定は我々に自覚されない様々な要因が絡み合う中で生起…

マルクス・ガブリエル『神話・狂気・哄笑』への質問

①本書40頁の「絶対的無規定性」―言語或は規定性の生成それ自体の無規定性と言い換えても良いと思いますが―について質問させてください。 私見では、件の無規定性は嘗てソール・クリプキがウィトゲンシュタインを論じた著作のメインテーマと重なり合っている…

入不二基義『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』を解消する

①入不二さんは本書の中で「現にあることそれ自体は内容・様態ではない」と強調しておられます。 とはいえ、入不二さんの仰る内容・様態が専ら概念の水準で問題にされているのか、或は実体(cf.本書275頁)の水準も含んでいるのか、本書を読む限りでは不明瞭…

魚川祐司『仏教思想のゼロポイント』についてのメモ

①テーラワーダの教説によれば、涅槃=覚者のみが認識しうる<対象・領域>という事らしいが、これは嘗て釈尊が覚知した?筈の<何か>と現今の修行者が覚知する?<何か>の同一性(或は)連続性を担保する為に案出された「物語」に過ぎないのではないか。 …

2013/7/4 の小話

Y氏とK氏は銀座を散歩しながら話をしている。 Y氏「ここは銀座一丁目―さっき『ホテルモントレラ・スールギンザ』を通り過ぎたのを覚えている―だよね。まあ、それはともかく・・・君には黙っていたけど、十分くらい前かな、いきなり左手が痛くなったんだよ。…

森岡正博さんの論文 「生まれてこなければよかった」の意味 についてのメモ

森岡正博さんの論文はコチラ http://www.lifestudies.org/jp/umarete01.htm へ。 森岡さんは「生まれてこなかった場合には【生まれてこなかった状態を把握する私というものが存在しない】のだから、それが【どういう状態であるのかを知り得る】者は誰ひとり…

入不二基義『運命論側の不完全さ』について ―「現実的な必然性」の内実を剔抉する―

本稿の目的は、講談社の小冊子『本』に掲載された入不二基義『運命論側の不完全さ』で論じられている「(論理的な必然性ではない)現実的な必然性」の内実を剔抉することである。 『運命論側の不完全さ』で入不二が提出した思考実験―予め言っておけば、入不…

入不二基義さんの公開原稿『無についての問い方・語り方』について 1.

以下の小論は、2011年9月17日に龍谷大学で開催された第六回ハイデガー・フォーラムで僕が配布したレジュメを再録したものである。 入不二基義さんの公開原稿『無についての問い方・語り方』については、以下のURLへ。 http://heideggerforum.main.jp/…

「弁当が怒っている」をめぐる応酬 3 について

「弁当が怒っている」をめぐる応酬 3 については、以下のURLを参照してください。 http://blogs.yahoo.co.jp/from_yaji_to_jijii/62007570.html?type=folderlist ※投稿されたコメントはブログ開設者の承認後に公開されます。ということなので、僕のブログか…

「弁当が怒っている」の思考実験について

セノオ様こんばんは、工藤と申します。先程ブログ http://blogs.yahoo.co.jp/from_yaji_to_jijii/61992561.html#61992561 を読ませて頂きました。 以下、感想とコメントです。>ただ、実際に、恒常的に特定の(弁当箱に入った)弁当しか「まずい」と言った途…

運命論を解消する

本稿の目標は、入不二基義『時間と絶対と相対と』(以下『絶対』と略記)第九章「運命論から何を読み取るべきか」の批判的検討を通して、運命論の論証を明晰化することである。猶、本稿では、テイラー(R.Taylor)による運命論の論証に代えて、入不二が主張…

谷口君の批判に答える

哲駒02&哲高2-05(2010/10/30&31)報告 2010年11月12日16:28 の名を藉りて、哲高2-05の謎解き、及び土田哲学批判を敢行する。 一万字を超えて、mixi 日記の容量では対応できないため、HTML 化して外部サーバーにアップロードした。 http://www.ilp-project…

青山拓央氏(休火山)のエッセイへのコメント

休火山さんの日記一覧へ 前の日記 時間分岐/人生の棋譜化 2011年02月18日13:32 情報系の学会誌に寄稿するエッセイの草稿です。時間や将棋についての特集号で、羽生名人も寄稿されるそうです。 文章やタイトル英訳に修正点があれば教えてください。(「棋譜…

「本質」について―青山拓央氏(休火山)との遣り取り―

Why □Water=H2O ? 2010年06月30日16:31 『名指しと必然性』を再読中ですが、第三講義、水がH2Oであるとか、金は原子番号79であるといった言明は、結局、どうして必然的なのですか? もっと細かい論点の解説はたくさんあるのに、こんな基本的な論点のち…

「二つのドグマ」について【一部修正】―青山拓央氏(休火山)との遣り取り―

休火山さんの日記一覧へ 前の日記 | 次の日記 講義メモ:二つのドグマ 2011年02月12日14:02 論文「二つのドグマ」について、ちょっとした補足をしておきます。「二つのドグマ」は大きな反響を呼ぶとともに、「一刀両断」的なその議論に多数の反論も寄せられ…

語り得ぬものと語られること ―真理・他者・相対主義・世界―

本稿の目標は、野矢茂樹『語りえぬものを語る』(以下『語る』と略記)と入不二基義『「語りえぬものを語る」で語られないこと』(以下『語られない』と略記)の批判的検討を通して、相対主義の問題における哲学的混乱を解消することである。 私見によれば、…

『語りえぬものを示す』1における『哲学探究』解釈およびその他の批判

本稿では、永井均『語りえぬものを示す』(以下『示す』と略記)1と『私・今・そして神』(以下『神』と略記)第3章の議論を比較参照しつつ、その不整合な点や誤謬の解消を試みる。 猶、本稿は『示す』1~3の議論については論じない。その野矢批判は真っ当な…

<私>の形而上学を解消する ―《私》の文法的構成と<私>なる錯誤―

始めに言っておくと、私は永井哲学における二つの支柱―<私>の形而上学と「私」の生成論―は互いに独立であり、各々個別的に検討されるべきだと考えている。私には両者とも多くの不整合と混乱を抱えているように見えるが、今回は特に前者を検討しつつ、文法…