青山拓央『分岐する時間―自由意志の哲学』への質問及び補足

①先ず、自由意志論者の言う<起点性>について質問したいと思います。
今更言うまでもありませんが、抑も我々思考し行為する存在者は[諸事物のネットワーク=世界]の一部であり、それ故に我々の意志決定は我々に自覚されない様々な要因が絡み合う中で生起しているのではないでしょうか。この事は青山さんの言う「諸可能性から選択して現実化する(行為の<起点>としての)主体」なる考えの胡乱さを示しているように思われますが、この点どのようにお考えでしょうか。


②次に「分岐問題」について質問したいと思います。
青山さんも認めておられる通り、我々の決断や行為は時空間(世界)において生起する出来事だと見倣す事が出来ますね。これに対して、様相はどうでしょうか。抑も様相は時空間(世界)において生起する出来事なのでしょうか。
一例を挙げれば、過去様相「ヒトラーは独裁者ではなく著名な画家として生涯を終える事もあり得た」を世界の事象系列―別言すれば、過去の事実・世界の歴史―に組み込む事は出来ませんよね。
・・・もうお解り?かもしれませんが、畢竟「分岐問題」とは、諸可能性を我々の決断や行為と同じく時空間(世界)に内属しているかのように考えた―その事は件の問題設定「(主体や偶然による)諸可能性からの選択」を見れば一目瞭然でしょう―挙句生じた擬似問題に過ぎないのではないでしょうか。


蛇足ながら最後に一言。
先程問題になっていた「時間の動性」ですが、青山さんの言う<時制的変化>でも斎藤先生の仰る<瞬間的現在の生成>でもなく、[諸事物のネットワーク=世界]の在り方に他ならないと僕は考えております。この点につきましては、残念ながら時間の関係上、詳説は出来ませんが。