2013/7/4 の小話

Y氏とK氏は銀座を散歩しながら話をしている。
Y氏「ここは銀座一丁目―さっき『ホテルモントレラ・スールギンザ』を通り過ぎたのを覚えている―だよね。まあ、それはともかく・・・君には黙っていたけど、十分くらい前かな、いきなり左手が痛くなったんだよ。でも、その左手は"今の僕"―君から見れば、Y氏ということになるけど―じゃなくて、モスクワ在住の大工ウラジミール・ソコロフ氏の左手だったんだ。そのとき彼はカナヅチで自分の左手を叩いたんだよ。そして、そのとき僕は「痛い!」と叫んでしまったんだけど、その叫び声を出 した口は"今の僕"―君から見れば、Y氏ということになるけど―じゃなくて、リオデジャネイロ在住の大学生フランシスコ・アイマール君の口だったんだ。そのとき彼は友人とフットサルをしていたんだが、別に誰かに蹴られたりしたわけじゃない。それで、そのとき僕にはエジプトの?スフィンクスらしきものが見えていたんだけど、それを見ていた眼は"今の僕"―君から見れば、Y氏ということになるけど―じゃなくてフランスからの旅行者フランソワ・ジダン氏の両眼だったんだ。どうだろう、この話・・・君は信じてくれるかい?」

K氏「ふうん、そんな事が本当に起こったのなら凄い話だね。だけど、そんな事が『あり得る』かどうか、或は僕が君の話を『信じる』かどうか以前に、抑も(僕も含めて)第三者が君の話に意味を見い出せるかどうか甚だ疑問だな。というか、実際は君自身も自分の言っていることがよく解っていないんじゃないか。君が冗談かホラを言っている(それともオツムがやられてしまったのか・・・)なら話は別だが。じゃあ、とりあえず、幾つか質問させてもらうよ。
①今の君―僕から見れば、Y氏ということになるけど―は何故かつて(十分くらい前に)自分が今君が話してくれたような状況にあったことを【知っている】のか?
この問いに対して「今の僕がそれを【覚えている】からだ」と答えても何に もならないよね。例えば(通常)或る人が「僕は東京タワーを【見ている】のだ」と主張する場合、彼以外の第三者がその主張の真偽をチェック出来る。彼の視線が東京タワーに向いているか、彼が見ているのは東京タワーではなく東京タワーの写真なのかどうか、彼が自分の想像表象と[実物]の―彼や第三者が視認し得る―東京タワーを取り違えていないかどうか等々。もし第三者によるチェックが【原理的に】不可能であるとすれば、その事柄については「それが生起したこと」と「それが生起したと或る人が【思い込んでいる】こと」を区別出来ないんじゃないかな。だから、そんな代物はゲームの指手にはならないし、なり得ないよね。
②(質問①に関連して)今の君―僕から見れば、Y氏ということに なるけど―は何故ソコロフ、アイマールジダン各氏の個人情報とそのとき彼らが置かれていた状況を【知っている】のか?
この問いに対して「今の僕がそれを【覚えているから】だ」とか「かつて(十分くらい前)の僕がそれらの状況を【見ていた】からだ」と答えても何にもならないよね。仮に或る人が「僕は昨日東京タワーを見たのを覚えている」と主張したとしても、それが記憶違いだった―覚えていると【思い込んでいた】が実際は違っていた―ということも『あり得る』わけだし、君の言う状況が【原理的に】第三者によるチェックを受け付けないものであるなら、さっきと同じ話になる。そして、【本当に】【そのとき】君がそれらの状況を【見ていた】のだとすれば、君の言う?ジダン氏の視線と 君の言う?スフィンクスらしきものとの関係と【そのとき】銀座を闊歩していたY氏なる身体との繋がりに加えて、それら全てと今の君―僕から見れば、Y氏なる身体的存在者なのだが―との関係(言うまでもなく【それら一連の記憶】も含めて)は、第三者によるチェックが「可能な」ものでなければならない。記憶と思い込みの違いは別にしても、そうでなければ又さっきと同じ話になってしまうからね。
要するに、こういうことかな。或る人が公共的に観察可能な或る状況を「見る」ことは、彼が公共的に観察可能な【一つの身体】であり・かつ【彼=身体が件の状況に対して視線を向け得る場所に居ること】を前提・含意している、と。別の言い方をすれば、或る人が公共的に観察可能な或る状況を「見る 」ことは、彼が公共的に観察可能な【一つの身体】であり・かつ【彼=身体が件の状況に対して視線を向け得る場所に居ること】と文法的に不可分である、ということ。まあ、他にもツッコミたい所はあるんだけど・・・そんなことより鮨でも食べに行かないか? せっかく銀座まで来たんだから」

Y氏「そうしよう。小腹も空いてきたことだし。この辺で良い店でも知ってるのかい?」

K氏「『次郎』にでも行こうか。君のおごりで」